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2006年9月29日付の朝日新聞夕刊に、安倍首相の所信表明演説の全文が掲載されていた。その一部を引用する。 教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は、わずか3年ほどの間に、若い長州藩士に志を持たせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました。小さな松下村塾が「明治維新胎動の地」となったのです。家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます。 “吉田松陰は”にはじまる文に、他動詞としての“輩出する”の用例がみられる。“輩出する”の前に“有為な人材を”という目的語が置かれているわけだから、ここでの“輩出する”は明らかに他動詞として用いられている。“輩出する”を他動詞として用いるようなヒトたちが教育再生に直ちに取り組むと声高に主張してもどうにもならないだろう。 また、演説によれば、吉田松陰という一個人が、有為な人材を多数輩出したという。個人が“輩出する”の主語になっている用例は見たことがなかったわい。もとより自動詞の“輩出する”の場合は、たった一人の人物が輩出するということは理屈からいってもおかしいのだから、旧弊なヒトがびっくりするのも無理はない。また他動詞の“輩出する”の場合は、その用法の是非はさておき、ふつう学校や機関が“人材を輩出する”というふうに使われているようなので、一個人が主語になることはまず考えられない。あるいは吉田松陰=松下村塾なのだろうか。しかし、この松下村塾のくだりは、演説の文脈からすれば、かなり強引に挿入されているといった印象が強い。これは地元向けのサービスをしようとして馬脚をあらわしてしまったということなのだろうか。 引用部分の最後の文も、キモチわるいといえばキモチわるい。家族、地域、国、命の並列、人間性、創造性、規律の並列、というふうにてんこ盛りに並べているが、国と命を大切にしろといわれても場合によっては困る場合がある。“個人”が大切にする対象から排除されているというところからすれば、やはり安倍政権がホントウに求めているのは、国のために命を捧げる覚悟を持った規律ある国民なのではないのか。ごてごてと美辞を連ねてホンネをカモフラージュしてはイカンと思う。 関連記事 輩出する
by zuikei
| 2006-10-01 15:03
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