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“すべからく”という語は、サ変動詞“す”、助動詞“べし”の未然形“べから”、そして接尾語“く”から成り、接尾語の“く”は、“いはく”“おもへらく”“きくならく”などにも用いられている“こと”“ところ”といった意をあらわす語であるから、“すべからく”の意味は“すべきことは”“すべきことはといえば”ということになるはずだが、“すべからく”を“すべて”“ことごとく”といった意味で用いることもあるらしい。過日朝日新聞の投書欄にそれらしき用例があったが、その新聞紙を捨ててしまったので、これは改めて用例をさがすことにして、同様に漢文訓読あるいは漢文訓読調の文章に用いられてきた語が変質した例として、今回は“すでにして”を取り上げたい。 ニホン語の“すでにして”は、中国語の接続詞“已而”“既而”を訓読するときに用いられてきた語である。“已而”“既而”の意味は“その後”“その後間もなく”ぐらいの意味であるから、当然ニホン語の“すでにして”もそういう意味で用いられるものと思っていたら大まちがいだ。小林信彦氏のエッセイ集『にっちもさっちも』(文春文庫 2006年)に附せられた中野翠氏の解説の一節を引く。 私はこの(これはなかなか……)という一言が、何とも言えずおかしかったのだ。どこがどうおかしいのか、説明不能。とにかく、小林さんらしいなあ、小学生の頃から小林信彦はすでにして小林信彦だったんだなあ、と思ったのだ。 ここでの“すでにして”は、“もうすでに”ぐらいの意味であろう。それなら“すでに”という副詞を用いればすむことだが、文章というものはちょっと気取って書くものである。“すでに”よりは“すでにして”を用いたほうが、もったいぶった感じがして好ましい。“すでにして”が“すでに”と同義の語だと認識しているのであるならば、そういう選択もありうるだろう。 ニホン語の変質について行けない旧弊なニンゲンは、本来の語義から大きく逸脱した“すべからく”や“すでにして”を駆使した文章の底の浅さに哀愁をおぼえるのである。そんなにカッコつけなくてもいいのになあ、と思ってしまう。
by zuikei
| 2006-05-03 01:18
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